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zoom RSS マイコンとパソコンの分かれ目

<<   作成日時 : 2017/01/16 22:43   >>

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マイクロコンピューターというのが、もともとの名前だったのに、省略好きの日本人が縮めてマイコンと呼ぶようになった。きっかけは、トランジスタ技術に連載されていたマイコン記事の著者、松本吉彦氏が自分のイニシャルと、個人所有のコンピューターという意味でマイコンと呼び出したのが最初と思う。
インテルが4004を作り、その次に8ビットのマイコンの8080を発表し、MITSが、8080を使ったコンピューターキットを販売するにいたり、米国で爆発的な人気を呼び起こした。当時の電算機室に鎮座していた本格的なコンピューターシステムに比べ、おもちゃ以下の機能ではあったが、プログラムができるという点で、愛好家からもろ手を挙げて歓迎された。当初は1KBだけのSRAMしかなかったので、平均2バイトの8080の命令長では、たかだか500ステップのプログラムしか書けなかった。せいぜい7セグメントLED4桁の表示や、周波数の設定できるブザーなど、簡単なものしかできなかったが、愛好家には十分だった。どうせRAMのサイズが大きくなれば、もっと大きなプログラムが書けるという予感があったからだ。そのころ、半導体集積回路は、2年でサイズが4倍になる法則にそって成長していた。1KBの次は4KB、その次は16KBというふうに。しかし別の問題が起こってきた。最初は、十分な広さと思えたアドレス空間がすぐいっぱいになったからだ。16本のアドレスラインでアドレスを指定していたため、64KBしかアドレスできなかった。アドレスラインの数を増やすしかなかったが、ここで既存のアーキテクチャを維持したまま、アドレスをおおきくするか、8ビットから16ビットへ、根本的な変更を行うか、各社の対応が分かれた。インテルはユーザーの資産を大事にするため、アセンブラレベルでの変更が少ない方式をとった。モトローラはまったく新しいアーキテクチャに乗り換えた。ここが分かれ目だったように思う。アーキテクチャの美しさはモトローラの68000のほうが群を抜いていたが、インテルの8086のほうが実際的だった。
さて、本題のマイコンとパソコンの分かれ目だが、私自身の感覚では、タンディラジオシャックのTRS80,コモドール社のPET2001、アップルのAPPLEIIという8ビット機だったと思う。これらマシンのおかげでプログラマたちはHWから解放された。言語はまだBASIC全盛であったが、HWを知らなくても、アプリの開発ができ。その後、IBMがIBM-PCを出すのだが、すでにVisicalcという表計算ソフトがでていたので、事務用としても十分使えた。
1977年は、私が大学院を修了し、企業に入社した年だが、海の向こうでは、はるか先にマイコンは進んでいた。その年のボーナスでTK80を買ったのだが、すでに2周回遅れで私のコンピュータ人生は始まった。

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